「諸君、帽子をとりたまえ!天才だ!」
という当時の「流行語大賞」間違いナシの名言とともに、ショパンの名を響き渡らせたシューマンの魅力について(普通に)語ります。
アリエッタ交響楽団第9回演奏会、プレトーク補足【シューマンとメンデルスゾーンのお話】と題しまして、第2回。
プレトーク補足:第1回【メンデルスゾーンの魅力について(熱く、熱く!)語る】はこちら
先日のアリエッタ交響楽団演奏会、開演前に指揮者と一緒にプレトークさせて頂きましたが……
「ああ〜、ど〜してあの話をしなかったか...
ロベルト・アレクサンドル・シューマン
第1回で取り上げたメンデルスゾーンより1年後に生を受け、優れた作曲家であるのと同時に、優れた音楽批評家でした。
「新音楽時報」での音楽批評
その頃のドイツでは(ベートーヴェンが他界した頃)
ベートーヴェンの名が、浸透こそしていたものの、まだまだ保守的な考えが大きかった様です。
いつの時代もそうなのかもしれませんが、当時も「斬新すぎる」という理由から、新しいものを受け入れられないことは多かったのでしょう。
そんな音楽批評に不満を感じ、友人たちと新しい批評について語り合い、ついには「新音楽時報」という音楽雑誌を創刊するに至ります。
「フロレスタン」と「オイゼビウス」
シューマンの頭の中には
「フロレスタン」と「オイゼビウス」という空想上のキャラクターが存在していました。
実在しない空想の2人が、やはり架空の団体「ダヴィッド同盟」を名乗り、シューマンの意見を代弁する形で織りなす音楽評論雑誌は、現在のライトノベルのような感覚で、斬新だった事でしょう。
そして、この「新音楽時報」は、しだいに人気を博し、ついにはドイツでもっとも影響力のある音楽雑誌にまで成長しました。
ブラームスが今日有名であるのも、シューマンの功績とも。
シューマンの周りでこの「フロレスタン」「オイゼビウス」2人の名前が出てきたのなら、それは彼自身の言葉なのだなと理解していただきたい。
ちなみにこの「新音楽時報」
現在もまだ刊行が続いているそうです。
楽曲に込められる想い
そんなシューマンは、果たしてどのような曲を残していたか。私の視点からシューマンの作風について触れます。
また後で触れようと思いますが、彼もまた、実は日本の音楽にたいへん関わりが深いようです。
20歳ごろ、指を痛めてしまいピアニストの夢を断念。
しかしそこで諦めず、ご存知の通り、数々の名曲を世に出していきます。
シューマン独特の不思議な和音の響き。
ヘミオラの書法(4拍子の中に3拍子をいれる書法)
そういったものがありますが、シューマンならではと言えば、音符をアルファベットに変換して旋律に当てる書法でしょう!
アルファベットから旋律を導き出す書法
ご存知の通り、音符にはそれぞれアルファベットが当てられています。
簡単に説明しますと(本当に簡単に説明します)
普段耳にする「ド」「レ」「ミ」という読み方(音の名前)には、それぞれ「C」「D」「E」というアルファベットが当てられています。
そして、それらを美しく繋ぎ合わせて旋律にするという書法は、シューマンに限らず様々な人が行っています。
有名なのが「バッハの名前」を音に変換すると……
BACH
↓
シ♭・ラ・ド・シ
……このようなものです。
(説明が難しいので今度ゆっくり)
シューマンの楽曲にはこのように旋律に人の名前や言葉が隠されていることがたいへん多いのです。
言葉と音楽を結びつける発想は、やはり自身の評論活動が要因である事と、実はシューマンの父親は小説家として大成功した人物で、もしかすると父親の持っていた資質が、しっかりとシューマンに受け継がれていた証ではないでしょうか。
クララ・シューマンのモティーフ
そのほんの一例としまして
シューマンと言えばやはり名ピアニストのクララ・ヴィーク、後のクララ・シューマンへ宛てたモティーフがあります。
子供の情景のトロイメライに出てくる、画像の様なところ
この「ド」「ラ」「ラ」といのが恋人クララの名前の「C」「A」「A」に当たっているのです。
ちょっとした「遊び心」と言うような些細なことのようですが、音楽史の世界ではその後、ベルリオーズのイデーフィクスや、ワーグナーのライトモティーフに続いていくものですから、彼の発想力というものには「脱帽」ですね!シューマンだけに(o^o^)o
もちろん他の友人、知人の名前や街の名前、「フロレスタン」や「オイゼビウス」なども登場しますが、クララのモティーフがやはり多く、シューマンがクララに宛てた手紙に
「ただ、いたるところ に『クララ』と書き(描き)たいのです」
とあるように、シューマンの楽曲には「クララ」のテーマが至るところに書かれクララへの想いであふれているのです。
終わりに
シューマンはたくさんの人が研究を行い、本もたくさん出ているので、私がでしゃばったところで大したものにはならないでしょうが、2回めもお読みいただきありがとうございます。
私なりな視点で、シューマンの魅力についてお楽しみ頂ければ幸いです。
2017.9. Tokyo.
次回:第3回【音楽史の大流もまた大河の如く】
プレトーク補足、完結編となります。
日本の音楽には、もしかするとメンデルスゾーンとシューマンからの流れがあるのでは?と言うお話...
第3回め、いよいよ完結です。
シューマンとメンデルスゾーンから、日本につながる流れとは?
演奏会プレトーク補足 シューマンとメンデルスゾーンのお話 第2回
2020/1/31 クラシック音楽のこと
「諸君、帽子をとりたまえ!天才だ!」
という当時の「流行語大賞」間違いナシの名言とともに、ショパンの名を響き渡らせたシューマンの魅力について(普通に)語ります。
アリエッタ交響楽団第9回演奏会、プレトーク補足【シューマンとメンデルスゾーンのお話】と題しまして、第2回。
プレトーク補足:第1回【メンデルスゾーンの魅力について(熱く、熱く!)語る】はこちら
Contents
ロベルト・アレクサンドル・シューマン
第1回で取り上げたメンデルスゾーンより1年後に生を受け、優れた作曲家であるのと同時に、優れた音楽批評家でした。
「新音楽時報」での音楽批評
その頃のドイツでは(ベートーヴェンが他界した頃)
ベートーヴェンの名が、浸透こそしていたものの、まだまだ保守的な考えが大きかった様です。
いつの時代もそうなのかもしれませんが、当時も「斬新すぎる」という理由から、新しいものを受け入れられないことは多かったのでしょう。
そんな音楽批評に不満を感じ、友人たちと新しい批評について語り合い、ついには「新音楽時報」という音楽雑誌を創刊するに至ります。
「フロレスタン」と「オイゼビウス」
シューマンの頭の中には
「フロレスタン」と「オイゼビウス」という空想上のキャラクターが存在していました。
実在しない空想の2人が、やはり架空の団体「ダヴィッド同盟」を名乗り、シューマンの意見を代弁する形で織りなす音楽評論雑誌は、現在のライトノベルのような感覚で、斬新だった事でしょう。
そして、この「新音楽時報」は、しだいに人気を博し、ついにはドイツでもっとも影響力のある音楽雑誌にまで成長しました。
ブラームスが今日有名であるのも、シューマンの功績とも。
シューマンの周りでこの「フロレスタン」「オイゼビウス」2人の名前が出てきたのなら、それは彼自身の言葉なのだなと理解していただきたい。
ちなみにこの「新音楽時報」
現在もまだ刊行が続いているそうです。
楽曲に込められる想い
そんなシューマンは、果たしてどのような曲を残していたか。私の視点からシューマンの作風について触れます。
また後で触れようと思いますが、彼もまた、実は日本の音楽にたいへん関わりが深いようです。
20歳ごろ、指を痛めてしまいピアニストの夢を断念。
しかしそこで諦めず、ご存知の通り、数々の名曲を世に出していきます。
シューマン独特の不思議な和音の響き。
ヘミオラの書法(4拍子の中に3拍子をいれる書法)
そういったものがありますが、シューマンならではと言えば、音符をアルファベットに変換して旋律に当てる書法でしょう!
アルファベットから旋律を導き出す書法
ご存知の通り、音符にはそれぞれアルファベットが当てられています。
簡単に説明しますと(本当に簡単に説明します)
普段耳にする「ド」「レ」「ミ」という読み方(音の名前)には、それぞれ「C」「D」「E」というアルファベットが当てられています。
そして、それらを美しく繋ぎ合わせて旋律にするという書法は、シューマンに限らず様々な人が行っています。
有名なのが「バッハの名前」を音に変換すると……
BACH
↓
シ♭・ラ・ド・シ
……このようなものです。
(説明が難しいので今度ゆっくり)
シューマンの楽曲にはこのように旋律に人の名前や言葉が隠されていることがたいへん多いのです。
言葉と音楽を結びつける発想は、やはり自身の評論活動が要因である事と、実はシューマンの父親は小説家として大成功した人物で、もしかすると父親の持っていた資質が、しっかりとシューマンに受け継がれていた証ではないでしょうか。
クララ・シューマンのモティーフ
そのほんの一例としまして
シューマンと言えばやはり名ピアニストのクララ・ヴィーク、後のクララ・シューマンへ宛てたモティーフがあります。
子供の情景のトロイメライに出てくる、画像の様なところ
この「ド」「ラ」「ラ」といのが恋人クララの名前の「C」「A」「A」に当たっているのです。
ちょっとした「遊び心」と言うような些細なことのようですが、音楽史の世界ではその後、ベルリオーズのイデーフィクスや、ワーグナーのライトモティーフに続いていくものですから、彼の発想力というものには「脱帽」ですね!シューマンだけに(o^o^)o
もちろん他の友人、知人の名前や街の名前、「フロレスタン」や「オイゼビウス」なども登場しますが、クララのモティーフがやはり多く、シューマンがクララに宛てた手紙に
「ただ、いたるところ に『クララ』と書き(描き)たいのです」
とあるように、シューマンの楽曲には「クララ」のテーマが至るところに書かれクララへの想いであふれているのです。
終わりに
シューマンはたくさんの人が研究を行い、本もたくさん出ているので、私がでしゃばったところで大したものにはならないでしょうが、2回めもお読みいただきありがとうございます。
私なりな視点で、シューマンの魅力についてお楽しみ頂ければ幸いです。
2017.9. Tokyo.
次回:第3回【音楽史の大流もまた大河の如く】
第3回め、いよいよ完結です。
シューマンとメンデルスゾーンから、日本につながる流れとは?