先日のアリエッタ交響楽団演奏会、開演前に指揮者と一緒にプレトークさせて頂きましたが……
「ああ〜、ど〜してあの話をしなかったかなぁ」とか
「あっちのことを話せば良かった」などと
実は、本番中にそんなことを思い出しながらヴィオラ弾いていました(^^;;
せっかくですので補足をしてみようと思います。
と言うわけで、
アリエッタ交響楽団第9回演奏会、プレトーク補足【シューマンとメンデルスゾーンのお話】と題しまして、第1回。
メンデルスゾーンの魅力について(熱く、熱く!)語ります。
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ
先に謝っておきますが……
子供の頃、メンデルスゾーンの無言歌集「狩りの歌」をピアノの発表会で大失敗した思い出があり、実は昔から好きな作曲家ではありませんでした。
ところが、作曲を本格的に勉強し始めた頃、改めて、メンデルスゾーンの交響曲や、協奏曲、序曲に触れ、その完成された書法に嫉妬まで覚えながらも、いつのまにか近くに置くようになり、しだいに「嫌い」から「好き」に変わっていったものですから、思い入れがたいへん強い作曲家のひとり!
ですので、後に続くシューマンの内容より、間違いなくメンデルスゾーンに偏ってしまいますので悪しからず(^^;;
ものすごく恵まれた家庭環境
とても、とても裕福は家庭環境の中でしっかりと英才教育を受けたこともあって、数ヶ国語を操り、絵画にも長け
子供の頃から、ドイツを代表する文豪、ゲーテとも親交を持ち
(ゲーテはメンデルスゾーンの弾くバッハを楽しみにしていたそうな)
モーツァルトと同じように、子供の頃から作曲をスタートさせ
当時、実は知られていなかったJ.S.バッハの音楽を蘇らせることで、現在における「再演」の礎を築き
現在の「指揮法」の原点も確立。
ライプツィヒ音楽大学の前身となる音楽院まで創立。
まさに天才!
ついでに言うとイケメンでした。
……嫉妬してしまう要素がたくさんあります(笑)
いわゆる交響曲1番は若干15歳(諸説あり)
ちょっと想像してみてください。
中学生くらいの少年が、あの規模のシンフォニーを創作していたのです。
もちろん、色々な説が飛び交う現在、彼の身の回りの人々の助けもたくさんあったことでしょう。
モーツァルト=天才と教科書にあるように
メンデルスゾーン=天才と書かれる日が来ることを願ってやみません。
先日、演奏しましたヴァイオリンコンチェルトでは、1楽章~3楽章まで止まらずに演奏しますが、その書法を編み出したのが、他ならぬメンデルスゾーンだったと言われており、以降に続く作曲家も、こぞって真似をするようになりました。
彼は、ピアノコンチェルト1番でも1楽章~2楽章は止まらずに書いていて、後に続くコンチェルトの実験もあったのではと思います。
まだご存知ない方はぜひ、聴いて確かめてみてください。華やかでとても美しいし楽曲です。
結婚行進曲だけではない!
パパパパーン♪
でお馴染みの結婚行進曲。
言うまでもなく、この曲はメンデルスゾーン作曲「真夏の夜の夢」の中の1曲ですが、もちろん、この曲以外にもたくさんの素晴らしい楽曲があります。
ロマン派という時代も味方をしていたことでしょう。
オーケストレーションはとても興味深く、交響曲「スコットランド」の1楽章、クラリネットの美しいシャルモー音域からは、楽器によく精通していた事が伺えます。
序曲「静かな海と楽しい航海」の美しい情景描写は鳥肌モノ!
ピアノトリオなどの小編成もたくさん書かれています。それらから察するに、オーケストラで使われる楽器のことを、よく知っていて書いているようです。
(オーケストレーションの話まで始めると日が暮れますので、いずれまた)
交響曲2番は、ベートーヴェンの交響曲第9番に続く合唱付の交響曲で、ベートーヴェンに劣らず、素晴らしい、かっこいい楽曲です。
38歳という若さで亡くなってから、戦争や世界情勢などの不幸な影響があり、一時は名前が聞かれなくなってしまいますが、その完成された音楽は、後世の作曲家に様々なヒントを与え、日本でも、ようやく日の目を見始めています。
第3回の記事で触れますが、実はメンデルスゾーンの楽曲は日本の音楽にたいへん関わりが深そうな作曲家のようです。
終わりに
と言ったところで、第1回はメンデルスゾーンについてのお話でした。
ご存知の方はもちろん、よく知らないという方も、彼の華やかなで繊細な楽曲の数々を、楽しむヒントになれば幸いです。
お読みいただきありがとうございます。
次回:第2回【シューマンの魅力について(普通に…)語る】
「諸君、帽子をとりたまえ!天才だ!」
という当時の「流行語大賞」間違いナシの名言とともに、ショパンの名を響き渡らせたシューマンの魅力に...
第2回めもどうぞよろしくお願いします。
2017.8. Tokyo.
演奏会プレトーク補足 シューマンとメンデルスゾーンのお話 第1回
2020/1/31 クラシック音楽のこと
先日のアリエッタ交響楽団演奏会、開演前に指揮者と一緒にプレトークさせて頂きましたが……
「ああ〜、ど〜してあの話をしなかったかなぁ」とか
「あっちのことを話せば良かった」などと
実は、本番中にそんなことを思い出しながらヴィオラ弾いていました(^^;;
せっかくですので補足をしてみようと思います。
と言うわけで、
アリエッタ交響楽団第9回演奏会、プレトーク補足【シューマンとメンデルスゾーンのお話】と題しまして、第1回。
メンデルスゾーンの魅力について(熱く、熱く!)語ります。
Contents
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ
先に謝っておきますが……
子供の頃、メンデルスゾーンの無言歌集「狩りの歌」をピアノの発表会で大失敗した思い出があり、実は昔から好きな作曲家ではありませんでした。
ところが、作曲を本格的に勉強し始めた頃、改めて、メンデルスゾーンの交響曲や、協奏曲、序曲に触れ、その完成された書法に嫉妬まで覚えながらも、いつのまにか近くに置くようになり、しだいに「嫌い」から「好き」に変わっていったものですから、思い入れがたいへん強い作曲家のひとり!
ですので、後に続くシューマンの内容より、間違いなくメンデルスゾーンに偏ってしまいますので悪しからず(^^;;
ものすごく恵まれた家庭環境
とても、とても裕福は家庭環境の中でしっかりと英才教育を受けたこともあって、数ヶ国語を操り、絵画にも長け
子供の頃から、ドイツを代表する文豪、ゲーテとも親交を持ち
(ゲーテはメンデルスゾーンの弾くバッハを楽しみにしていたそうな)
モーツァルトと同じように、子供の頃から作曲をスタートさせ
当時、実は知られていなかったJ.S.バッハの音楽を蘇らせることで、現在における「再演」の礎を築き
現在の「指揮法」の原点も確立。
ライプツィヒ音楽大学の前身となる音楽院まで創立。
まさに天才!
ついでに言うとイケメンでした。
……嫉妬してしまう要素がたくさんあります(笑)
いわゆる交響曲1番は若干15歳(諸説あり)
ちょっと想像してみてください。
中学生くらいの少年が、あの規模のシンフォニーを創作していたのです。
もちろん、色々な説が飛び交う現在、彼の身の回りの人々の助けもたくさんあったことでしょう。
モーツァルト=天才と教科書にあるように
メンデルスゾーン=天才と書かれる日が来ることを願ってやみません。
先日、演奏しましたヴァイオリンコンチェルトでは、1楽章~3楽章まで止まらずに演奏しますが、その書法を編み出したのが、他ならぬメンデルスゾーンだったと言われており、以降に続く作曲家も、こぞって真似をするようになりました。
彼は、ピアノコンチェルト1番でも1楽章~2楽章は止まらずに書いていて、後に続くコンチェルトの実験もあったのではと思います。
まだご存知ない方はぜひ、聴いて確かめてみてください。華やかでとても美しいし楽曲です。
結婚行進曲だけではない!
パパパパーン♪
でお馴染みの結婚行進曲。
言うまでもなく、この曲はメンデルスゾーン作曲「真夏の夜の夢」の中の1曲ですが、もちろん、この曲以外にもたくさんの素晴らしい楽曲があります。
ロマン派という時代も味方をしていたことでしょう。
オーケストレーションはとても興味深く、交響曲「スコットランド」の1楽章、クラリネットの美しいシャルモー音域からは、楽器によく精通していた事が伺えます。
序曲「静かな海と楽しい航海」の美しい情景描写は鳥肌モノ!
ピアノトリオなどの小編成もたくさん書かれています。それらから察するに、オーケストラで使われる楽器のことを、よく知っていて書いているようです。
(オーケストレーションの話まで始めると日が暮れますので、いずれまた)
交響曲2番は、ベートーヴェンの交響曲第9番に続く合唱付の交響曲で、ベートーヴェンに劣らず、素晴らしい、かっこいい楽曲です。
38歳という若さで亡くなってから、戦争や世界情勢などの不幸な影響があり、一時は名前が聞かれなくなってしまいますが、その完成された音楽は、後世の作曲家に様々なヒントを与え、日本でも、ようやく日の目を見始めています。
第3回の記事で触れますが、実はメンデルスゾーンの楽曲は日本の音楽にたいへん関わりが深そうな作曲家のようです。
終わりに
と言ったところで、第1回はメンデルスゾーンについてのお話でした。
ご存知の方はもちろん、よく知らないという方も、彼の華やかなで繊細な楽曲の数々を、楽しむヒントになれば幸いです。
お読みいただきありがとうございます。
次回:第2回【シューマンの魅力について(普通に…)語る】
第2回めもどうぞよろしくお願いします。
2017.8. Tokyo.