和音(コード)と調味料の不思議な関係

和音(コード)とは調味料のようなものではないでしょうか?

また突拍子もないことをと思うかも知れませんが。

コードと調味料

以前からそう感じていたことですが、先日行った編曲をしながら、改めてそんなことを感じたものですから、筆を取った次第。

例えば

ド、ミ、ソの和音の真ん中の音程をほんの少し、高くしたり低くしたりすると、音が明るくなったり、暗くなったりします。

アンサンブルや合唱などで、真ん中のパートを受け持つ人は「音程感覚のすぐれた良い耳」を持った人

が喜ばれるのは、このあたりの事が要因です。

ためしに次のサンプル音源

ドミソの和音が2回鳴りますので、聴き比べてみましょう。

(機器の音量を確認の上、再生ください)

電子音なので聞きにくいかも知れませんが、2つの和音を聴き比べると片方が少し違和感を感じたのではないでしょうか?

または両方とも?

実は、最初の和音は「ミ」の音をほんの少し高く設定してみました。

後の和音は低くしています。

1つめが明るく

2つめは暗い印象が感じられたのではないでしょうか?

DTMはこのような実験も手軽に試せるので、便利ですね(^^)

この「三和音」と呼ばれる和音を半音単位で制御することで、いわゆるメジャーコード、マイナーコードが作られます。

初めは長調、Cメジャーコードでしたが、だんだん「ミ」の音が下がり、途中で短調、Cマイナーコードを通り、最後にCメジャーコードになっています。

最後の和音が最初の和音より「なんだかキレイだなぁ」と感じたあなたは、素晴らしい耳の持ち主ですね(o^o^)o

(最初よりもちょっと高くしてあります)

詳しいコードの話は今日は触れませんが、例えば……ファ、ラ、ドの和音に「ミ」を足せば、神秘的な音になったり、三和音の「ソ」はとても自由度の高い音で、シャープやフラットが付くことによって様々な色を見せてくれます。

音楽の、面白いところの一つです。

和音……ただのコードでしょ?と思うのは事実です。しかしながら、少なくともこれらの和音は料理でいう調味料のようなもので、甘すぎるカレーや、塩辛い味噌汁が美味しくないと同じように、(好みもにもよりますが)作曲をするときは、その楽曲にあった音選びをすることがたいへん難しい。

……というか気をつかいます。

アマデウスという映画の中で

(内容的にいろいろ脚色はありましょうが)

モーツァルトの楽譜を見たサリエリが

「1音変えてしまえば、感動は失われ、1小節違えば全曲が壊れてしまう」

というようなセリフがあります。

民族的なことですが、日本人はこの和音の移ろいを聴く力が弱いとのこと。

そんなことを心の端に留めつつ、音を扱う者として、その繊細さを忘れずにいたいものです。

難しいお話ゆえ、読みにくいところ多々ある中、本日もお読み頂き感謝です。
2017.6. Tokyo.

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